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年末のクソ寒い街角で人間ジュークボックスなる大道芸人を見かけて、もちろん芸自体もステキなものではあるのだけれど、その芸のシステムに感心したのでメモ。

1.クソ寒い外気対策

ご本人はジュークボックスというかジュースの自販機のようなフォルムの箱の中に入っており、大変に暖かそうである。結構なお年だと思われる中の人がクソ寒い冬に芸をするにはとても重要なポイントなんじゃなかろうか。夏は暑そう。

2.一曲200円の明瞭会計

一通りの芸を披露して最後に「四角い紙か丸い金属」を要求するという、一般的なその他大勢の大道芸人の収支はなかなか厳しいんじゃなかろうか。この国に投げ銭という文化が根付いていないせいか、とてもハイレベルな出し物を見物しても「ローソンでからあげくん買ったお釣りだろ」という体の10円玉程度しか提供しない人がいるし、場合によっては芸が終わりそうな気配を感知するやその場をそそくさと離れる人の方が多かったりして大変気の毒になる。回収袋に「四角い紙」が投げ込まれているところなんて滅多に見ないし、1人あたり支払いの平均値は絶対200円より低いはず。推測するに、日本人に顕著な公平性を重んじる文化というか横並び精神というか貧乏根性が「みんな払ってないのに俺だけ金を出したら損だよな」みたいな感覚を引き起こして投げ銭の期待値を下げているのだ。ゲーム理論でいうところの志願者のジレンマだ。日本人は「値付けはご自由に」が苦手なのである。無人市の一本100円の大根には律儀に100円支払うがウィキペディアの創設者がいくら緊急のお願いをしても一向に寄付しやがらねー民族なのだ。一曲200円と明示されることにより「あれ、これ、からあげくんより安くね?」という気付きが生まれ、観衆はいつの間にか財布から100円玉を2枚取り出しているという寸法である。ジャグリングの人などもこれに倣い:

  • 基本技:100円
  • 応用技:200円
  • 連続技:300円
  • ボールを足す:100円
  • 火を付ける:100円
  • 軽快なトーク:0円

のような価格メニューを掲示したオンデマンド方式に移行してはどうか。「隠し技:一口50円(10口集まったら披露します)」のようなグルーポン形式でもよいだろう。

3×5か、5×3か、それが問題か?

個人的には5×3の方が萌えるんだけど、このへん:

これ、○か×かって論点を離れて、教室で実際に起きている現象を起点に考えれば問題点がはっきりするような……大雑把にいって、児童には次の4群がいるんじゃなかろうか:

  • A群:教科の内容を良く理解でき、先生のテキトーさも良く理解している
  • B群:教科の内容は良く理解できるが、先生のテキトーさに気付いていない
  • C群:教科の内容は良く理解できないが、先生の言い付けは素直に受け取る
  • D群:教科の内容を良く理解できず、先生の言い付けも理解できない

この中で、(もちろんD群が落ちこぼれてしまうことも問題ではあるけれど)本来落ちこぼれる必然性のないB群が落ちこぼれてしまうことが今回の問題。この議論で「教員」サイドと思しき人たちが主張している指導原則のようなものはC〜D群に算数的な考え方を教え込むための手順であって、A〜B群は既に算数的な考え方を自分の中で消化しており以降の単元で混乱する心配もないのだから後付けで「原則」を仕込む必要はまったくない(もし、児童同士で教え合うという指導形態を取るならA群には建前を含めて仕込んでも良い)。算数の理解だけを目的とするなら解決は簡単で、上2群と下2群で習熟度別クラスにすれば良い――もちろん、そんなの初等教育にはそぐわないから、解決のためには児童ひとりひとりを手厚く指導できるよう1クラスの人数を減らして教員を増やす。児童10人あたり教員2人くらいね。子供は減ってるし教員免許を持ってる大人は余ってるんだからできるだろ。
問題は、現場の先生がD群のケアにかかりきりになってしまってB群の問題に注目できないことなんだ。教える側としてD群を優先したくなる気持ちは非常に良く分かるし、その順位づけは恐らく正しい。だから、先生を増やせと書いた。一方、(これは印象でしかないけれど)はてなTwitterで声の大きい人の中にはB群出身者が多くて、トラウマが渦巻いている。ついでにいうと、教員にはC群出身者が多くて(これも推測でしかないけれど、経験から確信している)、もし仮に現場に余裕があったとしてもB群の気持ちを理解できるかどうか怪しい。だから、先生を増やすにしても、A〜B群出身で理系の大学院を出ているような人を1人は入れてほしいところ。まとめると、私の推測・危惧は「《できない子》の教育に重点をおいた指導原則が、いわゆる《できる子》の中でもパーフェクトではない、素直な子を脱落させてしまうのでは」ということです。実際、どうなんだろ。
あー、それから、現場の先生におかれましては○と×の持つ重みが児童によってかなり違うという点もふまえてほしいと思います。×が考えるきっかけになる子もいるし、×で思考停止してしまう子もいる。多分、そんなの当たり前で、みんな知ってるのに、先生が色々と忙しくて気が回らないだけなんだよね……

あれ、今のかえるの歌って20年前と違う? ABCの歌も!

ぼくらがドラクエIVガンガンいこうぜしていた頃、「かえるの歌」はこうだった:

(前略)
ケロケロケロケロ クヮクヮクヮ

ところが、今の教科書ではこうらしい:

(前略)
ケケケケケケケケ クヮクヮクヮ

ケケケケ……って、どこの妖怪デスカ!?
ぼくらがストII待ちガイルしていた頃、「ABCの歌」はこうだった:

A B C D E F G / H I J K L M N
O P Q R S T U / V W & X Y Z
(後略)

ところが、今はどの教材でも(NHK教育でさえ!)こうだ:

A B C D E F G / H I J K LMNOP
Q R S / T U V / W X / Y & Z
(後略)

四分音符3つでLMNOPって……どこの早口言葉デスカ!!
きっと、私の気付いていない歌詞の突然変異がもっとあるはず。よりよい歌詞へ進化するならともかく、少なくとも上の2つは端的に言って改悪である。これはぜんたいどういうことだろう。ゆとり教育の導入と一緒に歌詞までゆとっちゃったのか? そんなバカな。さもなくば、地方によって歌詞が違うとか? 境界はやっぱり関ヶ原かな。最近の傾向として、日本独自の編曲をやめて原曲に忠実にしたというのもアリかも……真相をご存知の方、ご教示いただければ幸いです。

オーガニックの野菜・果物とかカントリー風のオシャレ小物とか割と好きなのだけれど

近所にあるそういうお店や畑には必ずといっていいほど某党のポスターが貼ってある……やっぱりああいう宗教と親和性が高いんだろうか。確かに、合理的ではないからねぇ。それとも、うちの近所だけかなぁ。

映画の感想を書きます――「崖の上のポニョ」「GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊」

崖の上のポニョ
えーと……映画を楽しむ以前の問題じゃないのか、これは。主要キャラクターの中にまともな声優が一人もいないなんて。台詞の読み方が大根すぎてまったく物語に入り込めない。トトロの糸井重里ハウルのキムタク程度ならともかく、ここまで大根役者で揃えられると宮崎駿に何か深い意図があって私がそれに気付いてないだけなんじゃないかって不安になる。ストーリーと絵と動きと音楽は結構好き。
GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊
ストーリーのコンセプト自体は伝統的なSFのお約束に則った正統派という程度の印象なのだけれど。やたらと芝居がかった台詞回しや凝り過ぎの構図がひたすらカッコいい。ただ、ラストはもっとちっちゃくなってほしかった……というのが個人的な希望。あと、本作のヒロインが3度の飯より好きという知人を思い出して「なるほど、彼は変態だったか」と納得した。