3×5か、5×3か、それが問題か?

個人的には5×3の方が萌えるんだけど、このへん:

これ、○か×かって論点を離れて、教室で実際に起きている現象を起点に考えれば問題点がはっきりするような……大雑把にいって、児童には次の4群がいるんじゃなかろうか:

  • A群:教科の内容を良く理解でき、先生のテキトーさも良く理解している
  • B群:教科の内容は良く理解できるが、先生のテキトーさに気付いていない
  • C群:教科の内容は良く理解できないが、先生の言い付けは素直に受け取る
  • D群:教科の内容を良く理解できず、先生の言い付けも理解できない

この中で、(もちろんD群が落ちこぼれてしまうことも問題ではあるけれど)本来落ちこぼれる必然性のないB群が落ちこぼれてしまうことが今回の問題。この議論で「教員」サイドと思しき人たちが主張している指導原則のようなものはC〜D群に算数的な考え方を教え込むための手順であって、A〜B群は既に算数的な考え方を自分の中で消化しており以降の単元で混乱する心配もないのだから後付けで「原則」を仕込む必要はまったくない(もし、児童同士で教え合うという指導形態を取るならA群には建前を含めて仕込んでも良い)。算数の理解だけを目的とするなら解決は簡単で、上2群と下2群で習熟度別クラスにすれば良い――もちろん、そんなの初等教育にはそぐわないから、解決のためには児童ひとりひとりを手厚く指導できるよう1クラスの人数を減らして教員を増やす。児童10人あたり教員2人くらいね。子供は減ってるし教員免許を持ってる大人は余ってるんだからできるだろ。
問題は、現場の先生がD群のケアにかかりきりになってしまってB群の問題に注目できないことなんだ。教える側としてD群を優先したくなる気持ちは非常に良く分かるし、その順位づけは恐らく正しい。だから、先生を増やせと書いた。一方、(これは印象でしかないけれど)はてなTwitterで声の大きい人の中にはB群出身者が多くて、トラウマが渦巻いている。ついでにいうと、教員にはC群出身者が多くて(これも推測でしかないけれど、経験から確信している)、もし仮に現場に余裕があったとしてもB群の気持ちを理解できるかどうか怪しい。だから、先生を増やすにしても、A〜B群出身で理系の大学院を出ているような人を1人は入れてほしいところ。まとめると、私の推測・危惧は「《できない子》の教育に重点をおいた指導原則が、いわゆる《できる子》の中でもパーフェクトではない、素直な子を脱落させてしまうのでは」ということです。実際、どうなんだろ。
あー、それから、現場の先生におかれましては○と×の持つ重みが児童によってかなり違うという点もふまえてほしいと思います。×が考えるきっかけになる子もいるし、×で思考停止してしまう子もいる。多分、そんなの当たり前で、みんな知ってるのに、先生が色々と忙しくて気が回らないだけなんだよね……