宮部みゆき「理由」(朝日文庫)*1

ミステリ長編。ノンフィクションの手法を使って心の闇を抉る宮部みゆきの最高傑作(裏表紙より)――ルポルタージュ形式で事件を記述するという試みは確かに面白いし、宮部作品のくどくどした心理描写が苦手な読み手としてはそうした描写の少ない本作は嬉しい。とはいえ、ミステリとして、あるいは広く娯楽小説として考えるとこの手法には問題点が多い気がするなぁ……最後まで読んでも、あまりすっきりしない感じ。以下、ぐだぐだ:
私が宮部作品を苦手としている理由のひとつは、概して人物が酷く薄っぺらに感じられてしまうこと。「人物の心理描写が巧み」と評する人も多いようなので、このあたりは合うか合わないかなんだろう。共感できないというよりは、言わずもがなの内容が書かれすぎていて読めば読むほど作り物っぽい印象が強くなっていくという感じ。宮部は人間の負の部分を書きたがるのだけれど、この薄っぺら感のせいで「人は誰でも弱い部分を持っている」とは読めずに単なる記号としての「愚者」にしか見えなくなってしまう。そうすると、最後まで読んでも「要はバカがバカを見たんだな」という喜劇の感覚しか残らない。特に社会派のテーマを扱った小説だとこれは致命的な欠点になると思う。単純に私が良い読者じゃないというだけのことではあるけれど。
ルポ形式がミステリに相応しくないと感じた理由――元凶は、メインの語り手であるルポライターは既に事件の全容を把握していて、すべてが決着した後で過去を振り返って記述しているという構造にある。闇雲に不安がる作中人物vs数々の伏線から真相を類推できる読者(つまり、作中人物の知識<読者の知識)という状況から生まれるある種の優越感はミステリの醍醐味のひとつだと思うのだけれど、これがルポ形式では味わえない。同じ理由で、作中の数々の伏線は事件の複雑さによるものじゃなく単純に「ルポライターが恣意的に情報を小出しにして編集した結果として」発生したものでしかないので、先の展開が気になる箇所に出くわすとワクワクするよりもイライラしてしまう。「あなたは『正解は90秒後』とテロップを出しながら15分も引っ張る三流バラエティ番組ですか」とツッコミを入れたくなった回数も1度や2度じゃなかった。もうやだ。寝る。ぐぅ。
……でも、面白かったよ。600ページ以上あったけれど、徹夜して一気読みしちゃいました><