廃棄済文章の公共集積場を夢想する

世の中には、数多の文章書きの手で削られ殺がれ捨てられたごみフレーズの群れが埋まっているんだと思う。多分、抽斗の奥とか、ハードディスクの底の方とかに。しかし、たまたま書き手のシナリオにそぐわなかったばかりに日の目を見る機会を失ってしまったとはいえ、潜在的にそれらは資源だ。もったいないから、各々のごみを袋に入れてまとめて回収してどこか一ヶ所に集めてパブリック・ドメインにしてみたらどうだろうと、そういう空想。アイデアをアウトプットすることによってアイデアが湧き出すというのなら、没にしたアイデアだってすっかり出力してしまえば良いんじゃないかしら、と。
単体ではカスな断片でも、組み合わせれば面白い何かが生まれるかもしれない。誰かにとってはゴミだったけれど、別の誰かはそれを上手く使えるかもしれない。他の誰かをインスパイアできるかもしれない。率直なところ、そういう「削られたフレーズ」たちが一種のコラージュを形成しているだけでとてもエキサイティングなんじゃないかと予想している。削られた言葉の裏側には、削られなかったコンテキストが隠されているはずだから。遂にそれを削るに至った書き手のドラマが隠されているはずだから。そうした要素が大量に集まれば、いわば暗黙の群像劇が成立するはずだから。
即物的には、いざ文章を削ろうとするとき、切り捨てられた文章にも行き場があると知っていれば、思い切りやすくなるんじゃないかな、と――風見さんの日記*1を拝見して、冷めたホットミルクをすすりながら、そんなことをふわりと考えた。

*1:id:yoshi-kazami:20060116