思考と記憶の形態

一枚の「映像」として物事を捉える人、論理的な「文章」の形で物事を考える人。どうやら脳内の風景は十人十色らしく、色々と耳にする。「映像」にも色が付いていたり、いなかったり。「文章」も日本語だったり、英語だったり。
私自身の脳内は、恐らく思考・記憶ともに映像ベース*1。創作の真似事をするときもまず頭に浮かぶのは映画もどきで、それを適当に書き下しているだけ。抽象物も強引に映像化。今だって、妙にくねくねした謎の生物が脳内を飛び交って「我々は《映像》のイデアである」と扇動まがいの演説をかましている。
小説や漫画は大好きなのにTVアニメやCVありのキャラゲーが出来不出来を問わず苦手なのは、多分これが理由*2。贔屓にしているヲタ漫画が最近続々とアニメ化されているのに、どうしても心の底から楽しめなくて……絶大な残念感がひしひしと。蟲師とか、ARIAとか*3

*1:辛うじて音声付きながら、言語は含まず。小説の一フレーズを暗記した場合なども文章ではなく映像+韻律として保存されている――というか、論理学の問題を考えていても映像+韻律。もしや、誰でもこうなのだろうか?

*2:頭の中の動きや声と干渉してしまうので……原作を知っているからダメ、ということでもなくて、とにかく動くモノと声の出るモノがダメ。実はテレビドラマも少しダメ(三谷幸喜とかの演出過剰系なら大丈夫なのだけれど)。

*3:や、どちらも雰囲気が良く出ているし、貴重な良作アニメだとは思うのです。特に蟲師。何しろ「テレビはニューデザインパラダイスしか観ない」と半ば公言していた私が定期視聴を決心したくらいなので。