サンタクロースの意義について考えていたら眠れなくなった

「世間」の親たちが「嘘をついてはいけません」と言った同じ口で「サンタさんがプレゼントをくれる」などと嘘をつくのはなぜだ。バレたら「《サンタ》はプレゼントをあげたいと思うお父さんの気持ちの象徴としての存在なのだ」などと言い訳するつもりか。まさか。そんな稚拙な弁明が通用するのは霞ヶ関の中だけだ。
もちろん、世の中はもっと酷い不合理で溢れている。しかし、いたいけな子供にそれを教えるって? 早すぎる! 「お父さんのことは信じたいけどサンタは嘘なのでは……」という葛藤が子供の心の健全な成長にプラスの影響を与えるとは思えない。真っ先に頼れるべき親が信じられないという状況にいきなり放り込むなんて!
なになに、想像力の豊かな子供に育ってほしい? 今すぐサンタの嘘を謝り、毎晩絵本の読み聞かせをしろ!
なになに、サンタを信じるなんて可愛いじゃないか? もちろん可愛いさ! 親のエゴでロリータドレスを着せられた男の子と同じくらいね!
なになに、経済効果が? サンタを演じるほど熱心なクリスマス教徒なら、サンタがなくとも結局はプレゼントを贈るのではないだろうか。プレゼントは何も架空のサンタからでなくても構わない。実在の両親からでも、親戚からでも、友人・知人からでも良いのだ。
サンタの弊害はいくつもある。まず、物をもらったら「ありがとう」と言う、この当然の躾が、寝ている間にこっそり物を置き去っていく輩が相手では成立しないのだ。お礼の手紙を書きましょう? まさに嘘に嘘を重ねて泥沼にはまるパターンを地で行く振る舞いじゃないか!
あまつさえ、正体不明の男が夜間に枕元まで近付くのを許してのほほんとしているなんて。なんたるセキュリティ意識の欠如! 同じ口で「知らない人に近付いてはいけません」という、なんたる矛盾! サンタの身元の証明など、あの破廉恥な赤服と白髭くらいのものだ。サンタOKと教え込まれた子供は、たとえば作業服を着た男が「無料でシロアリ検査してやる」と言って来たらホイホイ自宅の床下に招き入れるのだ、それらしい服装だから!
いや、ひょっとしてサンタは「ご先祖様が見てる」や「神様のバチが当たる」と同種の教育を目的としたファンタジーの一種なのだろうか。「良い子にしていればプレゼントがもらえますよ」ということか。似た何かを知っているような気がするぞ……そうだ、「なまはげ」だ! 悪い子は出刃包丁でグログロの八つ裂きにされるのだ。まさに、サンタとなまはげは表裏一体なのだ!
否否否否、ご先祖様は「見る」だけで現実世界に何か影響を及ぼすわけじゃない。神様のバチは実際には発生しない。現実世界で観測できない以上、その存在は科学的にはニュートラルだ。理科教育と矛盾しない。しかし、あいつはファンタジーにもかかわらず現実世界にプレゼントを発生させる。科学的に誤りであることが明白である。
そもそも普通の親は神様を騙って子供にバチを当てたりしないし、ご先祖様を騙って子供の部屋を盗撮することもない。それなのに、少なくない数の「普通の」親がサンタを騙ってプレゼントを贈っている事実が問題なのである。
では、いったい何のために親たちはサンタの嘘を続けるのか。サンタは親の好むプレゼントを「押し付け」るために必要なのかもしれない。なるほど、サッカーボールを欲しがる子供に野球ボールとグローブを贈る「サンタ」がいたとしても、悪いのは空気を読まないサンタであって子供の願いを無視する親ではない。あるいは、サンタはプレゼントを「やる」ためではない、「やれない」ときのための保険として必要なのかもしれない。なるほど、サンタを言い訳にすれば「リストラされてプレゼントを買えなかったんだ」と言わずに済む。
しかし、それは子供に「お父さんは嘘つき」と思われるリスク、あるいは子供が「僕が悪い子だからプレゼントがないんだ」と思い悩むリスクと引き換えにするほどの価値のある保険だろうか。自分の子供を信頼して、正直に「お金がなくて買えなかった」と伝えるべきではないのか。「俺はお前と野球をやりたいんだ」と伝えるべきではないのか。
ことほどさように、サンタクロースの悩みは尽きない。教えてサンタさん。あなたは何のために在るのですか。真面目なエントリだから、フィンランド政府の陰で暗躍する秘密結社「サンタクロース」が――みたいなことは書かないよ。