エヴァンゲリオンの思い出

当時、正確な経緯は忘れたが、仲間うちで「今日は映画デーだ」という機運が高まり普段は滅多に行かない映画館へ足を運んだのだった。同日「もののけ姫」も観た。映画館2軒をはしごしたのは後にも先にもあのときだけだ。例のラストシーンも一段落して幕が下り始めたとき、館内に満ちた微妙な空気を良く覚えている。とても居心地が悪い。なのに、誰も席を立たない。みんな葛藤しているのだ――
はじめ、「え、もう終わり?」という感覚を皆が共有した。館内が「え、もう終わり?」というアホ面で埋まった。次に、「『え、もう終わり?』という顔をするのは格好悪いかもしれない」という感覚を皆が共有した。館内は「『え、もう終わり?』という顔をするのは格好悪いかもしれない」というすまし顔で埋まった。やがて、館内の半分が「これは駄作だった」という意識を持ち、残りの半分が「これは傑作だった」という意識を持った。館内が2つの勢力に分かれた。続いて、第一の勢力は「『これは駄作だった』という顔をするのは格好悪いかもしれない」と考え、第二の勢力は「『これは傑作だった』という顔をするのは格好悪いかもしれない」と考えた。つまり、前者は「これを駄作だと思うのは俺の頭が悪いせいなんじゃないのか」と恐れ、後者は「これを傑作だと思う俺は痛いヤツなんじゃないのか」と恐れたのだ。館内は微妙な顔で埋まった。最後に全員が「結局、この映画を観た時点で負け組なのだ」という事実を悟り、決まり悪そうに席を立った。観客すべてがその決まり悪さを共有した。時間帯のせいかグループで来ている客がほとんどだったが、友達と「良い映画だったね」と喜び合っている人も「クソ映画だったぜ」と憤り合っている人もいなかった。みんな、無言のまま俯き加減に、あるいは「晩飯どうする?」など関係ない会話を交わしながら出口へ急いでいた。次の上映を観るためゲートの外に並んだワクワク顔の行列の横を、微妙なニヤニヤ顔で通り過ぎながら。
――と、Revinさんの日記のおかげで青春のほろ苦い記憶が鮮やかに蘇ってきたのだった。映画館で見なくてホントよかったという感想は別の意味で当を得ていると思う。観る価値がないとは言わないが、観た時点で居心地の悪さが確定するリスクを負ってまで観る価値があるかと尋ねられたら、私は「家のTVで、ひとりで観ろ」と答えるだろう。10年たった今でも、あの映画を日記のネタにすることについて若干の決まり悪さを感じている。