小説を読むとき、その映像を思い浮かべることができるか?(4)

長々と書いていたのだけれど、収拾が付かなくなってきたので要点だけ:

文章を読むプロセスのどの段階に映像が生じるのか?

  • 仮定……読書のプロセスを(1)文字の認識→(2)文意の解釈→(3)物語の構成とする。
  • 仮説……(1)→(2)の映像化は読書速度を高める。文字の配列を「一枚絵」として認識する速読法と比較せよ。
  • 仮説……(2)→(3)の映像化は読書速度を抑える。このフェイズでの映像処理は読み取りよりもむしろ創作に近いと考えられるため。
  • 仮説……(1)→(2)および(2)→(3)のどちらか一方を映像化する人と、両方を映像化する人がいる。
  • 仮説……あるいは(2)における一時記憶および(3)における短期記憶にそれぞれ文字形態と映像形態がある。

映像の程度≒リアリティ/ディテールか?

  • 支持要素……漠然とした輪郭が浮かぶ人と詳細な光景が浮かぶ人の存在。人物と背景のどちらか一方が浮かぶ人と両方が浮かぶ人の存在。静止画を浮かべる人と動画を浮かべる人の存在。
  • 否定要素……辞書、六法、技術書、哲学書などから映像を浮かべる人の存在(抽象概念のリアリティとは?)。漫画のコマ割りのような映像を浮かべる人の存在(動画と漫画のどちらが「リッチ」か?)。また、後者は効果線や吹き出しの有無について調査の必要あり。
  • 不明要素……文意の中心にあるものしか浮かばない人の存在。単に想像世界の中で視線をブレさせないだけの人(周辺の光景も見ようと思えば受動的に見える人)と、真に書いてあるものしか見えない人(周辺の光景を「見る」行為が能動的な「創作」になってしまう人)の2種類いると予想。
  • 不明要素……伝統的な「絶世の美女」問題との関連。「絶世の美女」と書かれていたとき、映像としてリアリティがあるのは写実的で具体的な映像よりもむしろ必要な箇所が適切にぼかされた映像ではないのか。

視覚以外の感覚は働き得るか?

  • 仮定……聴覚、嗅覚、味覚、触覚、体感覚などの五感も使われ得る。
  • 仮説……仮想視覚主体で読む人の読書速度は仮想聴覚主体で読書する人の読書速度よりも高速。
  • 仮説……五感による知覚よりも上位の総合的な感覚(嫌悪、美術、倫理などの価値判断)がダイレクトに発生することもある。

速度以外の比較基準はあるか?

  • 記憶の定着……文章のどの要素を、どのように、いつまで、覚えているか?
  • 文章の再現……映像を浮かべる人は暗誦の際にも映像を使うのか? また、暗誦は得意か?
  • 創作の起点……自分で物語を作る場合に、映像が起点になるか? 読書中の映像化との関連は?

差し当たってのまとめのようなもの

  • 仮説……五感に依存する読み方をする人は、物語を堪能すること、小説世界に没入することに主眼を置いている。
  • 仮説……五感に依存せず速読気味に読み進める人は、作品を読破すること、小説世界を征服することにエクスタシーを覚える。
  • 以前の記事で「読書速度」ではなくことさら「読書の量」と表記したのは↑のような見解の先走りです)
  • 結論……速読を身に付け、また映像や音声の想像にも慣れておき、状況と対象によって適切に切り換えて読み進められるようにすれば、きっと幸せになれる。

次回からは普通の日記に戻ります。