小説を読むとき、その映像を思い浮かべることができるか?(1)

ウィンドバードさん*1より。注目のエントリーで見掛けたときには、考えるだけで脳内に止めておいたのだけれど。改めて仮面の男さんの日記で取り上げられているのを見掛けて釣られる。

  • 私の場合、「読書=映像を思い浮かべて楽しむこと」です。他の五感も浮かばないことはありませんが、視覚が主。視覚10:聴覚2:嗅覚1:味覚3:触覚3くらいでしょうか……
  • 素敵な映像が浮かぶたびに本を伏せるので、小説を読み進める速度は非常に遅いです。本を伏せると脳内動画にポーズが掛かる仕組みになっています。さらに伏せ続けると、視点を変えて繰り返しリプレイされます。
  • 映像抜きで速読めいた読み方をすることもありますが、面白くないので通常この方法で読むことはありません。
  • 気分としては映画監督に近いものがあります。私にとって映像は「既にそこに存在している3Dシーン」なので、読者としては視点の位置を決めてカメラを回したり止めたりエフェクトを掛けたりする作業をこなしているような気がします。
  • ライトノベルが苦手な理由は、ひとつには脳内映像とイラストが合わないからです。多くのイラストが、キャラクターを大きく描くためでしょう、映像としてあり得ない構図になっています。
  • 観念的な小説が苦手な理由は、ひとつには脳内映像が面白くないからです。大概、抽象画のような映像が浮かびます。
  • 固有名詞で描写を重ねるタイプの現代小説で、その分野の固有名詞に疎い場合は勝手な映像が捏造されます。お酒や煙草の銘柄のことは良く分からないので、「マルボロとバーボンだったらトレンチコートだろう」程度の認識しかありません。
  • 北村薫が好きな理由は、浮かんでくる映像が日常的で親しみやすく、なおかつ綺麗だからです。「秋の花」の河原のシーンなどがヤバいです。
  • 「ダメな文章」は「映像が浮かばない文章」と同義です。
  • 「クドい文章」は「浮かんだ映像に余分な情報を付け足そうとする文章」と同義です。
  • 「こう書き直したらどうか」は「この映像なら、私はこう書く」と同義です。
  • 「ビジュアルが面白い」は最上位の褒め言葉です。
  • 作者当てが苦手な理由は、脳内ではすべての作品が映像に還元されてしまっていて、文体などの特徴が記憶に残らないからです。

――と、ここまで考えて。先のエントリの問い「私はなぜラノベを読めなくなったのか」が解けたような気がする。以前は、映像と挿絵はそれほど乖離していなかったのだ。ところが、ある時期を境にして、両者は互いに変質してしまった。ちょうど、電撃がラノベの主流になってきた頃。あるいは、ロードスのイラストレーターが出渕裕から美樹本晴彦に変わった頃*2