表紙イラストとかのこと(「ライトノベル活況の実態*1」より)

ちゆメモより。電撃の実績配本制は、岩波の買取制などと対照的な近代システム……なんだろうか。とまれ、表題の記事にあるいくつかの問題がちょっと面白いので考えてみる。
まず、売れ方がコミックみたいというのはそもそも出し方が一般書籍よりもコミック寄り*1なので当然の結果に違いない。で、電撃文庫の絵ってみんなアニメなのはどうしてについては、(「ラノベで文字に親しんだ少年少女が成長して角川文庫の読者へ」という流れを想定していたはずの往年のスニーカー*2に対して)当初からメディアミックスを念頭において誕生した*3電撃、というのが答えになるんじゃないだろうか*4イラストのトーンの画一化は、想定読者が(ラノベ本来の読者層である)中高生でなくなってきているという証拠*5……や、これは流石に邪推しすぎか。とはいえ、ラノベのイラストには流行の変遷以上の何かがあるような気がする*6
――と、たまには「大きなお友達」らしくウザい感じの語りで日記を埋めてみた。こんなエントリを書きつつ、谷川流の登場以降ほとんどラノベに触れていないというのは公然の秘密。というか、ブギーポップラグナロクも読んでないや。

*1:人気の続く限りシリーズの新刊を出しまくって売れなくなったら打ち切り、のような。(小説というより)原作者付きの漫画として扱った方が実態に近いんじゃないだろうか。

*2:角川や富士見も現在は電撃スタイルだと思う。ロードス島シリーズのイラストレーター変更などが端的な例?

*3:結果として(作品世界をイメージする補助としてのイラストではなく)キャラクターの魅力を強調するようなイラストになる。ブギーポップとかラグナロクの出版当時はスタイリッシュな表紙に目を惹かれたものだけれど、いずれ「世界かキャラか」でいえば間違いなく後者だ。

*4:あと、電撃が売れているのは(配本システム云々より)メディアミックスっぽい売り方に一日の長があるためだと思う。この点では角川や富士見が後発組。配本の工夫で利益率は上がるかもしれないけれど、それだけで売上そのものが増えることはないはず。

*5:我々「大きなお友達」の嗜好は間違いなく偏っているので。

*6:蛇足。羽住都とかTHORES柴本とか、今でも「キャラより世界」(天野喜孝型?)の画家を持っているのが、電撃に対するスニーカーの強みだと思うんだけどなー。