ゴッゴルの消えた日(改題)

ゴッゴルの話をしよう。あの日、ゴッゴルはそこに居た――褐色のガウンと赤い王冠を、誇らしげに揺らしながら。彼はコケコッコーと無邪気に鳴いたり、あるいはcock-a-doodle-dooと哀しげに泣いたりすることもあったが、私の前ではいつもゴッゴルゴッゴルと楽しげに笑っていた。だから、私は彼を専らゴッゴルと呼んでいた。本当の名前はゴッゴルエドワード・ロレンスだかゴッゴルホリエモン三世だかポンポコピーのポンポコナのゴッゴルだかとにかく小難しい発音だったはずだが、私の知る限りそんな風に呼んでいる者は居なかった。いずれにしろ彼がゴッゴルであることは疑いようもない事実だったし、彼がゴッゴルであるだけで私たちは満たされていたのだ。少なくとも私の朝はゴッゴルの喉の奥から発せられる勇ましい一声とともに始まる決まりになっていた。私はそれを密かにゴッゴル・モーニング・コールと呼び、布団の中で毎朝それを心待ちにしていたものだ。
あれは、蒸し暑い夏の午後のことだったと思う。「ゴッゴル〜!」といういつになく切羽詰った叫びに驚いてゴッゴルと彼の家族の棲む小屋へ急ぐと、ゴッゴルと彼の2羽目の妻であるゴッゴル夫人、そして彼らの初めての子であるゴッゴルJr.が沈鬱な表情で藁敷きの寝床を囲んでいた。そこはゴッゴル婦人が卵を温めるための聖域だった。私の記憶が確かなら、ゴッゴル婦人は3日前にもひとつ小さな卵を産み落としていたはずだった――卵は割れていた。子育てに不慣れなゴッゴル婦人は、水を飲むため寝床を立ち上がる際に誤って卵を踏み潰してしまったのだ。激昂するゴッゴルを前にして、ゴッゴル婦人は言葉もなくうなだれているだけだった。ゴッゴルJr.は両親を仲裁しようと懸命に可愛らしい声を発していたが、我を忘れたゴッゴル夫妻にその声は届いていないようだった。
その事件以降、それまでのように仲睦まじいゴッゴル夫妻の姿を見ることはなくなってしまった。「ニワトリの記憶は3歩しか保たない」という常識はどうやら根拠のない迷信だったらしい。日を追う毎にゴッゴル婦人は目に見えて衰弱してゆき、新しい卵を生むことなく2週間後に死んでしまった。ゴッゴルは日によって激しく叫んだり全く鳴かなかったりするようになり、私たちを困惑させた。それから1ヶ月が経った早朝、私は夢を見た――夢の中で、ゴッゴルは渡り鳥のように大空を飛翔していた。不吉な予兆を覚えた私が小屋へ駆け付けてみると、ゴッゴルと彼の小さなゴッゴルJr.の姿は既に跡形もなく消えていた。空っぽになった小屋の床に、餌の穀物をインク代わりにした拙い筆跡で「たびにてます さがさないでくだちい ジョージより」と書置きが残されていた。私は涙が零れぬように空を見上げて鳴いた――「ゴッゴル〜!」。
夏が終わる頃になると、私は今でもゴッゴルのことを思い出す。清々しい一声で低血圧の私を叩き起こしてくれたゴッゴルは、もう居ない。私が当時のように早起きをすることは、恐らくもう二度とないだろう*1­*2

*1:……って、長文で何を書いてるんだ>自分。アホだ、マジで。

*2:他に3点ほど疑問もある:1)創作ならばともかく、id:hatenadiary:20041018:1098078304にあるように「叫ぶ」というのはGoogleのガイドラインに抵触しないか、2)?Dには(AmazonGoogleアフィリエイトを介して)コンテスト主催者の禁止する不適切な広告が入ってしまうことがあるのではないか、3)Googleのアルゴリズムの性格上、コンテスト終了時に検索結果のトップとなるのはコンテストのオフィシャルサイトではないのか。