語源探訪:「カツアゲ」

隠語「カツアゲ」に隠された歴史。

はじめに

和語を愛して止まない筆者による新シリーズ「語源探訪」。さて、初回のテーマ「カツアゲ」を広辞苑で引いてみると:

かつ‐あげ
恐喝の隠語。おどして金品を奪うこと。

残念ながら、意味を説明するばかりで用語の由来を教えてはくれない。何人かの知人に「カツアゲの語源を知っているか」と尋ねてみたところ、「恐喝して金品を巻き上げるからカツアゲ」という認識が支配的であるようだ。なるほど、これは安直でこそあれ、もっともらしい説には違いない。しかし、驚くなかれ――この言葉の裏には、極めて繊細かつ荘厳な歴史が隠されていたのである。今回はそれを紹介しよう。

「鬘上げ」の歴史

徳川第三代将軍家光は天草一揆を制圧すると共に、鎖国令を敷いた。西洋人で唯一渡航を許されたオランダ商人も、長崎沿岸の埋立地《出島》のみを例外として上陸を固く禁じられた。この体制は、米提督M.C.ペリーが東インド艦隊を率いて浦賀に来航するまで、実に二百年に渡って継続される事になる。
「カツアゲ」の由来は、その鎖国の時代にまで遡る。時は江戸後期――天明の世。浅間山の大噴火に端を発する歴史的な大飢饉に喘ぐ武蔵・奥羽の惨状を余所に、貴重な海の玄関口である長崎は今日も緩やかな繁栄を謳歌していた。しかし、一見したところ平穏な都市にも、問題が皆無という訳ではない。日本人に変装して出島‐長崎間の検問を突破し、市街に足を踏み入れようとするオランダ人が跡を絶たなかったのである。
彼らは出島の商館に出入りする日本人娼婦の髪を切り、それを材料に黒髪のヅラを作成、衛士の目を欺こうとした。オランダ職人のヅラ製作術は至妙であり*1、あたかもサムライのように見事な髷を結ったヅラさえ存在したという。当局はこれに対処するため、出島の通用橋および長崎の市街各所に役人を巡回させた。「鬘上げ」と称して通行人達の頭髪を適宜持ち上げ、それが自毛かどうか確認するのだ*2。最盛期には捕吏が不足し、それを補うため一時的に岡っ引きを増強したほどである。
オランダ人の変装には(碧眼を隠蔽するために)柳生十兵衛を真似て隻眼を装うなど様々なバリエーションが存在したが、頭髪を剃り落として出家僧を偽る人物が現れるに至って「鬘上げ」は次第にその意義を失い、巡回役人の数は激減した。最終的にいつ頃まで「鬘上げ」が行われていたのかについては、正確な記録が残っていない。

「鬘上げ」から「カツアゲ」へ

臨時雇いの岡っ引き達は、元々、ならず者と大差ない荒れくれ者に過ぎない。「鬘上げ」の衰退に伴なって、職に溢れた彼らは本格的なゴロツキと化し、裏通りを自主的に「巡回」するようになる。道行く善良な町人に因縁をつけては「鬘上げ」を装って頭髪を引き、それが自毛だと知るや「ヅラがないなら代わりに身包みを置いていけ」と追い剥ぎ紛いの行為に及ぶのだ。
この悪質な「鬘上げ」は瞬く間に九州全土に広がり、各地の日常を脅かした。かの本居宣長も、晩年の随筆『玉桂』にて「然るに鬘を上げむとまことの道に叛く有。此国、真心をばうしなひはてたり」と嘆いている。加えて、長崎以外の(本来の「鬘上げ」が行われなかった)地域に伝播する際、些細な聞き間違いが原因か「鬘上げ」は少し訛って「かつ上げ」と発音されるようになった。
――以上が「カツアゲ」の由来だ。本家の「鬘上げ」が完全に終息した後も、この「かつ上げ」は執拗に生き残り、その精神は現代の「カツアゲ」に連綿と受け継がれているのである*3

*1:音楽界の巨匠達の例を挙げるまでもなく、西洋はヅラの先進地である。

*2:この小さな歴史は「踏み絵」の陰に隠れて目立たないものの、キリシタン弾圧の重要な一例である。

*3:補足:この文書の内容はフィクションであり、実在の人物、歴史、用語等には全く関係ありません。